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「死を忘れるな」――または、トルストイにおける神と愛

 


 1 「混迷」の時代


欧米、ラテンアメリカを中心に、新型コロナウィルスが猖獗をきわめている。その光景はまさに、骸骨をまとう死神たちが老若男女の別なく大鎌をふるう「死の舞踏」の図すら思い起こさせる。それが明日の私たちの姿ではないとの保証はどこにもない。当時、人々は、ペスト流行のさなか、「メメント・モリ(死を忘れるな)」を座右の銘とし、来世での幸福に思いを馳せたが、現代に生きる私たちが、この、新たな「中世」の現出のまえで生きる指針とすべきものとは何か?「メメント・モリ」の原義が示す「今を楽しめ」の刹那的な喜びだろうか。

十九世紀を代表するロシアの文豪レフ・トルストイの創作民話「人はなんで生きるか」は、一八八一年に雑誌『**』に発表された。一八八一年と言えば、トルストイ最大のライバル、フョードル・ドストエフスキーが没し、時の皇帝アレクサンドル二世が暗殺された、歴史的に節目の年である。当時、トルストイは、五十二才。代表作『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』を書き終え、文字どおり円熟のきわみにあったが、この民話の執筆には、思いがけず多大な時間を要したことが知られている。理由は、この時期、この作家が経験していた「円熟」が、一種の燃えつき症候群をも思わせる深い「混迷」と背中合わせにあったことに由来している。作家として、家庭人として、あるいは教育者として、なしうるすべてをなしとげ、人間として最高の誇りを手にいれたはずのトルストイだが、その彼が、栄光と引きかえに授かった「混迷」は、どここかソロモンの無常観(「空の空なるかな」)に深く通じていた。

では、当時のトルストイが経験した「混迷」とは、たんに彼の個人的な動機に由来するものだったのだろうか。いや、その背後にはむしろ、同時代の状況、すなわち高まりゆくテロリズムの嵐が濃い影を落としていたように思えてならない。アレクサンドル二世による「農奴解放」(一八六一)以後、ロシアは近代化の道を突き進んでいくが、反面、社会のさまざまな局面に亀裂が生まれ、都会に押し出された解放農民の多くが、犯罪、売春、飲酒などの悪習に身を沈めていった。そうした状況を背に、改革の不徹底を不満とする若い知識人たちの間にプロテストの機運が高まり、ついには皇帝暗殺という悲劇的事態にいたるのだ。思うに、トルストイが現に経験している「混迷」が、そうした状況、すなわち彼みずからが足場とする貴族階級の没落という予感に深く支配されていたことは疑いようのない事実である。


 2 


では、「混迷」の淵にあってトルストイは、どのような解決の道を探っていたのか。その答えを、端的に示してくれるのが、作品の冒頭にエピグラフとして引用された「ヨハネの手紙」である。

「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(4章8節)

「愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(4章16節)

「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(4章20節)

日々のパンも尽きて、とうとう集金に出かざるをえなくくなった靴職人のセミョーンだが、百姓たちの暮らしは苦しく、持ち前の気弱な性格も災いして、思うように取り立ては進まない。帰途、教会堂のかたわらを通りすぎたセミョーンは、そのかたわらで裸のまま蹲る一人の若者を見つけ、コートと靴を与えて、家に連れ帰る……。

セミョーンは類まれに優しい心、慈しみの心の持ち主である。その慈しみはやがて、「混迷」の時代の作者が支えとした「山上の垂訓」の実現に実を結ぶ(「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」)。むろん、セミョーン自身は、その幸運が、同じ屋根の下で暮らす天使の御業であることなど知るよしもない……

 私が、一読して感じたとまどいの一つは、物語に描かれた神の、あまりの厳めしさだった。天使ミハイルとは対照的に、ミハイルを支配下に置く神が、不幸や禍から人間を救う奇跡者として描かれることはない。神の御心ははかり知れず、善意でもあれば、悪意でもあり、時として無関心そのものにすら見える。したがって、そうした不可知の神を信じるということは、どれほど偶発的とみえる出来事でも、それを神の意思として素直に受けいれる覚悟が必要である。救いは、そうした厳めしい神への従順から訪れるとトルストイは考えたのだった。

神は、なぜ、産褥の苦しみにある母親を救おうとするミハイルを罰するのか。これはむろん、作者トルストイ自身の胸のうちで一度はこだましたはずの切実な叫びである。この問いは、同じ時代にドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』(一八八一)の主人公の一人に吐かせた神への悲痛なプロテストに通じている。

「何のために子どもまで苦しまなくてはならないのか、どういう理由をもって子どもまでは、苦痛をもって調和をあがなわなくてならないのか」

「人はなんで生きるか」の物語は、まさに非情な神への天使ミハイルの謀反に発端をもっている。本来なら、神の意志を人間に伝える従順な存在であるべき天使が、はじめて「神の似姿」ではなく、「人間の似姿」として感情と意志を持った、つまり一人の心ある「人間的」存在として目覚めたのである。神は、そうしたミハイルの悔い改めを、三つの問いをとおして注意深く見守ろうとする。そして六年にわたる地上での暮らしのなかでミハイルはそれら三つの答えを得る。その三つの答えにライトモチーフとして底流する思想が「神とは愛である」という福音書の一句というわけだ。

思い起こしてほしいのだが、天使ミハイルの頬に浮かぶ三度の「笑み」は、ミハイルがそこに「神」を見出した瞬間に生まれでる。そのときミハイルが感じた神とは、天上にまします神というより、神と不可分な愛の感覚そのものとして描かれている。セミョーンの妻マトリョーナの心に湧きおこった憐みと愛の発見が、第一の問い「人の心の中には何があるのか」の答えとなる。

では、第二の問い、「人が与えられていないものとは何か」の答えとは何だろうか。端的にそれは、「知識」である。というより、みずからの運命を事前に知る「予見知」と呼ぶほうが正しい。

 問題は、第三の問い「人は何によって生きるのか」に対する答えである。トルストイの答えは、一読してひどく曖昧である。第一の問いに対する答えと同様、たんなる「愛」と答えるにせよ、補足が不十分となる。むしろ、「自己犠牲」ないしは「連帯」と呼ぶほうがはるかに事実に即している。そのように読み取ることで、この三つの発見を有機的に結びつけることが可能となるのである。すなわち――。

人間には、本来、愛する力が備わっている。しかし、おのれの未来を推しはかる「知識」だけは授かっていない。だから、時として傲りたかぶることがある。しかし現実に、人間は、自分にたいする気遣いだけでは生きていけず、結局、人間同士がたがいに愛し合い、連帯し、あるいは自分を犠牲とすることで初めて愛の意味を知り、生きる力を得る……何よりもエゴを捨て去らなくてはならない。

しかし、ここまできて、まだ解決していない問題が一つ残されていることに気づく。神はなぜ、ミハイルを罰したのか、という問いである。ここには、トルストイの根本思想が息づいている。すなわち、すべての人間は神の意志によってこの世に生を享けた、だが、神は人間に、各自がその霊を滅ぼすことも救うこともできる自由な存在として送り出したという考え方である。一人一人の運命は、それぞれに委ねられている。したがって母親は死すべき存在であり、それ自体が冷徹な事実でなくてはならない。つまり、子ども二人は、新しい育ての親によって救い出され、豊かに育つという未来を見越したうえで、神は、母親から魂を抜くことをミハイルに命じたのだ。だが、ミハイルはそれを知ることなく神の意志に背くことになった。ミハイルが神の罰を受けたのも、みずからの「愛」ゆえに、現実の「調和」を変えようとしたその「驕り」にあった。

だが、私たち読者は、ミハイルの発見「神さまとは愛なのです」という言葉に、やはり深い二重性が隠されていると感じざる。神とは愛そのものかもしれない。しかし同時に、人間の愛こそが神であり、厳しい神のもとに組みしかれた世界も、人間がみずからの愛でそれを満たしていくことで、はじめて「調和」を実現すると語っているように思える。つまり、この物語は、神の、人間にたいする信頼の物語と呼ぶこともできるのである。

「混迷」の時代に得たこれだけの真実を、トルストイはキリストという一つの神話体系の枠内で語ろうとしていた。しかし、「神さまとは愛なのです」と語るとき、彼は、おそらくキリスト教の枠を越え、仏教、イスラーム教、ユダヤ教にまで広く影響を及ぼしかねない普遍的真実としてそれを語ろうとしていたと思えてならない。その結果、彼が辿りついた神とは、世俗権力にまみれることのない、純粋かつ生命の営みそのものである神だった。この物語が、キリスト教を知らない日本人の読者にとってリアリティ溢れるものとして認識されるとすれば、それこそは、トルストイの抱く神の観念が、私たちが日ごろ抱いている、より抽象的な神の観念、いや、運命の観念に限りなく近いものとして提示されているからである。

 靴の注文に現れ、その日のうちに死去する「だんな」の死は、けっしてセミョーンに対する横暴なふるまいに原因があったわけではない。彼の死は、運命としてすでに定められていた。問題は、その「だんな」が、人間であるがゆえの「無知」をさらけ出した点、すなわち自分が死すべき存在であるという認識に立てず、あるいはそれを忘却したがゆえに生まれた「驕り」にある。死の直前、トルストイは「生命の道」という文章で次のように書いている。

「《Memento mori》 死を忘れるな!というのは、偉大な言葉である。われわれがもし、避けがたくじきに死ぬということを知っていたら、われわれの全人生はまるきりべつのものとなるだろう」

トルストイがこの「メメント・モリ」の思想が語りかけていたのは、むろん「今を楽しめ」という刹那的快楽ではない。むしろそれとは真逆の態度、厳めしい神の意志にしたがいながら、ひたすら勤労にはげみ、耐え、そして慈悲深くある……

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