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春を待ちながら 東京・春祭2013

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 今年の東京・春・音楽祭のプログラムをWEB上で確かめているとき、私は一瞬、胸の高鳴りを覚えた。2013年が、ストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』の初演から100年の記念すべき年にあたっていることを思いだしたのだ。春たけなわの4月14日、春・音楽祭は、ベジャール振付の『春の祭典』で閉じられる。なかなか意味深い演出だ!

 そこで私はふと、今から100年前の世界では、何が起こっていたのか、と、好奇心にかられ、検索窓に「1913年」と入力してみた。ウィキペディアは、じつに気が利いている。5月の項に、ちゃんと『春の祭典』に関する記述がある。さらに9月の項には、「ワーグナー事件」とあって、一瞬、目を疑い、興味にかられてクリックすると、これがワーグナー違い。当時、ドイツの小さな村で起こった、横溝正史も顔負けの一族皆殺し事件だとわかった。1913年生まれの有名人というと、女優のヴィヴィアン・リー、作家のアルベール・カミユ、写真家のロバート・キャパ、作曲家のベンジャミン・ブリテン、そして日本では、最近亡くなられた音楽批評家の吉田秀和さんがこの年に生まれている。さらに記事を負っていくと、オーディオファンが喜びそうなトピックが記されていた。この年、世界初の交響曲全曲録音がなされたとある。指揮者不詳、オデオン管弦楽団。曲目は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。真偽を確かめようと、あれこれ調べてみると、これが、大きな間違いだとわかった。ウィキペディアの評価を少し改めなくてはならない。1913年に録音されたのは、アルトゥール・ニキシュ指揮ベルリンフィルによるれっきとした本格演奏で、指揮者不詳のオデオン版による「運命」は、その3年前の出来事らしい。好奇心旺盛な私は、むろん、その両方の音源をWEB上で探してみた。あるある。百年前のクラシックファンの気分になれる。

では、それからさらに100年を遡った1813年は、どうだったのか。ウィキペディアは、ナポレオン戦争や米西戦争などの記述で占められているが、すぐその下にドイツとイタリアで生まれた二人の天才作曲家の名前が記されていた。ヴィヴァ、1813年!

5月22日 - リヒャルト・ワーグナー

10月10日 - ジュゼッペ・ヴェルディ

さらに100年遡って、1713年はどうか。ウィキペディアの記述は完全に枯渇しており、啓蒙思想家ディドローの誕生と作曲家コレルリの死が目立つくらいだ。そこでさらに100年遡ってみた。ロマノフ王朝開始の年号という以外、私の乏しい「教養」はもはや追いつかない。音楽のトピックとしては、「作曲家のモンテヴェルディ、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長になる」とあるが、これを書き込んだ人物は、よほどのクラシック通にちがいない。

振り返って、日本で、1613年というと、慶長遣欧使節の年として比較的よく知られている。仙台藩主伊達政宗の命で、日本初の軍船サン・フアン・バウティスタ号が造られ、牡鹿半島月ノ浦(現在の石巻市)から、一路、スペイン(エスパーニャ)をめざして出港した。この時、日本を代表して乗り込んだ人物が、支倉常長である。400年前のこの出来事を記念して、今年をスペインイヤーと称し、日本とスペインの交流に関わるさまざまな行事が行われる予定らしい。今回の春・音楽祭のプログラムにも、エル・グレコ展とのコラボレーションが企画されているが、これもおそらくはその一端だろう。それにしても、わずか500トンの船に乗り込み、二つの大洋を越えてスペインにたどり着いた支倉の勇気には感嘆の念を禁じ得ない。当時42歳。今の時代に、これだけの気概をもった人物がどれだけいるだろうか。今、声高に叫ばれている「グローバル人材」の先駆者と呼べるのではないか。おっと、これは筆が滑った。

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では、2013年、私たちはいま、日本いや世界の歴史において、どんな節目となる一年を迎えようとしているのか? 春がもう近くまで来ているというのに、私は何やら妙に神妙な気分に支配されている。ことによると、私(たち)は、今、三つの暦を、同時平行して生きているのではないか。一月と四月の間に挟まれたもう一つのはじまり・・・・・・

顧みると、私の生活のなかにも、あの悲しい日々によって前後に二つに仕切られたささやかな思い出がある。2011年2月、終の住処をと願って、私は地下室のある家を買いもとめた。2年後、その地下室には、1万5千冊を超える書物が運びこまれるはずだった。コンクリート壁に囲まれたその空間が、黴くさい書物に埋め尽くされるまで、と思いながら、引越しの整理がつくとまもなく私はチェロのケースを開いた。大学時代にはじめたチェロが、いつのまにか一つの妄執と化していて、この4,5年、奇妙な悪夢に悩まされることが多くなっていた。チェロがバラバラに壊される夢、弓がのこぎりに変じる夢――。そして実際にケースから取り出してみると、緩んだ弦のうえに錆が吹きだし、指板にはうっすらと黴が生えている。私は、ハンドタオルでその汚れを丁寧にぬぐってから、バッハの楽譜を取り出した。開いたページは、組曲第2番プレリュード。ゆっくりとしたテンポなら、なんとか最後まで辿りつける数少ない曲の一つである。

昼は、大学改革をめぐる議論、夜は、ドストエフスキー『悪霊』の翻訳という二重生活を強いられていた私にとって、朝の7時過ぎに地下室に降りて弾く「プレリュード」は、ちょっとしたストレス発散になった。いや、程よいストレッチ体操といってもよかった。ところが、それから2週間と経たないうちに、あの大震災が起こった。私は、チェロを床に放置したまま、リビングのテレビにかぶりつく毎日を送っていた。そうして約2年が過ぎようとしていた。

 今年が明けてまもなく、どういう風の吹き回しか、私は一大決心をした。きっと心のなかで一種の「甦り」が起こっていたのだろう。学内あげての新年会で、隠し芸を披露することにしたのだ。人前でチェロを弾くのは、じつに40年ぶりのことなので、文字通り、一大決心だった。ピアノの伴奏を引き受けくれた同僚の先生と相談して選んだ曲は、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」とカザルス「鳥の歌」の二曲。最後まで弾ける曲を一つでも増やしたいという執念で、毎日、夕食後の一時間をたっぷり練習に費やした。ところが、一度限りの音合わせが明日に迫ったというのに、何としてもリズムの緩急がつけられない。そこではたと思いあたり、Youtube に助けを求めることにした。キリテ・カナワやキャスリーン・バトルの歌、ハイフェッツやパールマンのヴァイオリンにまじって、案の定、チェロの演奏もアップされている。そこで、私は発見した。はるか遠い故郷へのノスタルジックな思いに満たされた「ヴォカリーズ」も、胸の奥にじんとしみいる「鳥の歌」も、人の声にもっとも近いチェロでなければ、そのエッセンスは表現できない、と。むろん、そこには独断も交じっていた。ともあれ、「ヴォカリーズ」は、ソビエト時代のチェリスト、ダニール・シャフランの、「鳥の歌」は、いうまでもなく、パブロ・カザルスの演奏に魅了された。ちなみにカザルスの演奏は、1961年にホワイトハウスに招かれた彼が、ケネディ夫妻の前で行った演奏の録音とある。二人の演奏を、私なりの拙い言葉で表すなら、静かに情熱をたぎらせた、驕りのない演奏――。

 では、「驕りがない」とは、そもそもどういう演奏をいうのか、自分なり考えた。一言でいうと、歌いすぎないこと、誇張しないこと、上手さを見せびらかさないこと。2年前の3月、もはや極限的としか表現しようのない状況を経験した私たちにとって、今ぐらい「抑える」ということの美学が切実に求められている時代はないように思う。少し大げさな物言いになるけれど、「抑えられたもの」に対する想像力を培うこと、それこそが、今、私たちが心して取り組むべき課題なのではないか。 

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