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ジュピターよ、汝は怒れり……

 ある日、突然、独裁者の脳裏に啓示が訪ずれ、何ひとつ理由が明かされることなく軍隊がいっせいに撤退を開始する。潮が引くように、静かに。こうした光景は、じつは、小説やアニメの世界でしかない起こりえない展開なのだが、私自身、そんな妄想にすがるしかないほど追いつめられていた。この「ある日、突然」の幻惑がドストエフスキーから来ていることは明らかだった。彼の文学では、時おり、そうした突然の「覚醒」に見舞われた人物の姿が描かれる。だが、国家の大義と利害があざとくからまりあう国際政治の世界は、小説の世界よりもはるかに酷く、醜く、複雑であり、「ある日、突然」などというロマンティシズムが入りこむ余地はない。いや、そんな話を持ちだすこと自体、不謹慎きわまりないことは百も承知している。ただし私がそんな妄想に駆り立てられた理由は、他にもう一つあった。

 二〇一四年七月、マレーシア航空機が東ウクライナで撃墜された際、独裁者は何ゆえか教会に閉じこもったというエピソードを耳にしたことがあるのだ。真偽のほどはわからないが、かりに独裁者にそれだけの感じいる心があるなら、奇跡は起こるかもしれないと淡い期待が湧いた。ところがまもなく、この話には、それと真っ向から対立する別の解釈を下せる余地があることに気づかされた。ことによると独裁者は、教会での煩悶を乗り切ることで、逆に自らの内なる神を殺したのではないか。「嘘」は力であり、どんな罪障も帳消しにできる。その「発見」にいたった瞬間、彼は真の意味での独裁者に変貌し、堕落の底に沈みはじめた、と。

 さて、今回の侵攻をめぐって時おり呟かれてきた次の言葉に私は改めて注目している。

「これは、ロシアの戦争ではなく、プーチンの戦争だ」。

「プーチンの戦争」とは、概ね、プーチン個人が仕掛けた戦争、プーチン個人の罪に帰すべき戦争、といった意味をもつ。ところが、事態の深刻化とともに、西側ではそれがたんに「プーチンの戦争」であるのみならず、「ロシアの戦争」でもあるといった声が高まりはじめた。と同時に、ロシア人はおろかロシアの文化そのものを否定し、排斥する動きが激化しはじめた。とくに「ブチャの虐殺」以降、ネットユーザーたちは、もはやロシア人の「野蛮さ」「残虐さ」について語ることに何らの躊躇も感じなくなった。

 顧みるに、ロシア人=野蛮人説ないしロシア嫌悪(ルッソ・フォビア)には、長い歴史がある。その嚆矢ともいえる例が、フランスの保守思想家ジョセフ・ド・メーストルの有名な言葉「ロシア人は、一皮むけば、タタール人」である。ロシア征服に失敗したナポレオン自身もメーストルのこの考えに同調していたという。ちなみに「タタール(Tatar)」は、ギリシャ語の「タルタロス(Tartaros)」(地獄)との類似から、モンゴル人総体を意味する言葉となったとするのが定説のようである(メーストルがこの時、ロシア人とウクライナ人の区別ができていたかどうかはわからない)。

 さて、「プーチンの戦争」か「ロシアの戦争」か、を考えるうえで、もう一つ手がかりとなる文章がここにある。司馬遼太郎の名著『ロシアについて』(一九八六年)である。司馬によれば、人類の文明史的観点から見てロシアは国家としてきわめて若く、その分「たけだけしい野生をもっている」。そして国家としての成立が遅れた理由の中心には、「強悍なアジア系遊牧民族」の存在がある。ここでいう「アジア系遊牧民族」とは、いうまでもなく「タタール・モンゴル」のことだが、約二百五十年に及ぶ「同情なき破壊者であり略奪者」の支配が、「ロシア社会の原形質」となり、外からの恐怖に怯えるロシア人の精神性は確立した。これが、司馬の基本的なロシア観である。

 文学者である私に、今、司馬の考えの是非を判断する材料はない。一つだけ加えるなら、タタール・モンゴルの支配には、それなりにポジティブな側面もあったことが、最近の研究で明らかにされている。それはともかく、タタール・モンゴルの消滅後、「ロシア社会の原形質」と化した外敵への恐怖と独裁権力は、コインの表裏のように不即不離の関係に入った。端的には、外敵への恐怖が、独裁の伝統を育んだともいえるのだ。そしてこの視点に立つと、今回の侵攻はたんに「プーチンの戦争」としては片づけられない複雑な構図が浮かび上がってくる。

 むろん、ロシアの市民にも言い分があるだろう。今や「外敵」と変わらない、むきだしの暴力装置と化した警察権力。恐怖のレベルは、独ソ戦前夜のスターリン時代にも比すべきものといっても過言ではない。ただし抜け道はある。一九三〇年代の大テロルとは異なり、ひたすら沈黙を貫いてさえいれば、当面、生命は保証され、深夜のノックに怯える理由もないからだ。では、そのようなかたちで縛り上げられた市民にとって、「抵抗」の選択肢はどこに存在しうるのか。

 敢えて答えを絞りだすなら、みずからの良心に従うこと、そこだけである。侵略者の国家に生きるとは、「罪の意識」の共有とともに、侵略者の「汚名」をも共有することを意味する。晩年のドストエフスキーが執拗に説いた原罪論的な思考にまで立ち返る必要はないが(「人はすべての人にたいして罪がある」)、国家の罪をみずからの罪として引き受ける勇気をもち、次の「復活」の機会に備えるのだ。

 翻って、私たちにできることは何か。これも、ただ一つ、監視し続けること、黙過しないこと。

 私がいま心から恐れているのは、世界に蔓延するインフレ、物価高といった危機のなかで、人々の耳目が戦場の呻きを顧みなくなることだ。当事国の一つアメリカにすでにその兆候が現れている。こうして世界的レベルで無関心が広がりはじめたころ、大団円の幕が切って落とされる。場所は、いうまでもなく帝政ロシアが大惨敗を喫した因縁の地クリミア半島。クリミア半島には、双方の国家的アイデンティティが深く関わっているだけに、戦いは凄惨を極めるものとなる。

 最近、プーチンの側近の口から洩れたひと言が胸に突き刺さった(「私が生きている限り、彼らを消滅させるために何でもする」)。侵略者の言とも思えない、この傲りたかぶった憎悪の深さはどこからくるのか? この憎悪の底にはげしく脈打つもの、それはまさに敗北の予感ではないだろうか。

 二・二四から約四ヶ月間、私は、正義の相対性という問題に苛立ちつづけてきた。究極の答えは、やはり「ある日、突然……」にしかないと悟った。しかしそんな他人任せのなりゆき主義とは異なる言葉が、『ホモサピエンス全史』の著者の口から吐かれていたのを知った。圧政のなかに生きたロシア国民の聡明さに信頼の目を向けつつハラリは書いている。

「かつてロシア国民はヒトラーに勇敢に抵抗し、人類を救いました。ロシア国民は、プーチンに勇敢に抵抗することにより、再び人類を救うことができます」

原点回帰とでもいうべき、司馬の次の言葉にも勇気づけられた。

「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」

今はプーチンだけでなく、世界のすべての為政者にこの言葉を送り届けたい。

ウクライナ侵攻は、何もタタールの血が騒ぎだしたから生じたわけではない。すべての源に、為政者の傲りと怒りがある。運命が、「最新式の、何かとてつもなく大きな機械」(ドストエフスキー『白痴』)のように慈悲なく時を刻みはじめるのは、まさに人間が傲りと怒りに身をゆだね、至高の法と歴史の教訓を忘れ去るときである。

 ジュピターよ、汝は怒れり。

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