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光は闇のなかに輝く

 ロシアではかつて「20世紀」の文字が、若い知識人の胸に大いなる希望の火を灯した時代があった。しかしその幕開けは、社会を混沌の渦に陥れるばかりで、彼らの胸のうちにすみやかに「終末」の予感に誘いだしていった。そのきっかけとなった事件は、言うまでもなく、1905年の第一次革命の勃発とそれにつづく日露戦争での敗北である。

希望と失意に縁どられた世紀初頭、作家としてすでに名声を確立していたマクシム・ゴーリキーに新たな転機が訪れた。1902年12月、最初の戯曲『どん底』がモスクワ芸術座の舞台にかかると、たちまちにして世界の演劇ファンの話題となり、当のゴーリキーさえ怯えさせるほどの大事件と化したのである。では、この作品の何が、それほどにも観る者の心を魅了したのだろうか?

 ひと言でいえば、リアリズムの威力である。

 アレクサンドル二世暗殺以降、ロシアの文壇が総じて非政治、神秘主義、デカダン趣味へと傾くなか、「どん底」は、まさにそうした潮流への「反逆」とでもいうしかないプロテストの気分をはらむにいたった(事実、帝室劇場での上演は禁じられた)。舞台は、原始時代の洞窟のようにかすかな光しか通さないサンクトペテルブルグの木賃宿。神に見捨てられた有象無象たち(極貧、ペテン師、泥棒、病人、娼婦)が雑多に身を寄せ合っている。しかしそこに支配するのは、慰めや共感のかけらもないシニシズムと暴力、あるいはその二つによってうち砕かれた希望の残骸である。省みるに、世界に名だたる劇場で、これほどにも悲惨な状況がステージ上に設えられたことはかつてなかった。ドストエフスキーが描き出した「貧しき人々」の世界でさえ、ここまで無残な叫びを発することはなかった。

 しかし、いかに底辺に生きる人間にも誇りはあり、人間であるかぎり絶望しつくすということはない。人々はただ、現状脱出のかすかな夢さえ口にする勇気もないまま、飲酒やカードに身をやつす。そこで交わされる会話は、ほとんど不条理劇の雰囲気さえ漂わせているが、他方、木賃宿全体に響きわたる罵言や笑いには、何かしら鬱積する不満と一触即発の張り詰めた気分が感じられる。「革命前夜」の気分とそれを表してもけっしては過言ではない。

『どん底』のドラマは、謎めいたルカ老人の登場によって急展開をとげ、作品の隠されたイデオロギー的骨格を浮かびあがらせる。ひとことそれを表現すれば、苦しい真実を知るのと、美しい嘘を聞くのとでは、どちらが正しい道か?

 このテーマは、当然のことながらドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に通じている。すなわち「革命(contra)か、神(pro)の二者択一である。相対立する二つの原理のせめぎあいのなかで、前者を代表するのがサーチン。殺人者という呪わしい過去を背負いつつも、臆することのなく人間賛歌を謳い(「人間はより良きもののために生きている」)、「人間、これこそが真実だ!」と息巻くペテン師である。そして後者を代表するのがルカ老人。他者への慈しみや、現世の忍従、来世での幸せを説くキリスト者である。ただし作家は、少なくとも表面上はそのいずれの側にも与することはなく、あくまでも曖昧さに身を委ねようとしている。とはいえ、彼の本音が、サーチンの側にあることは、少なくともどう時代の観客なら即座に理解できたはずだ。なぜなら作者は、この救いようのない現実に抵抗とする手段として「無為」を説き、自滅も敢えていとわないサーチンのセリフに、当時の彼が傾倒していたニーチェの「超人主義」の信念を忍びこませていたことが明らかだからである。そのサーチンが、「真実の地」を伝道するルカをどのように弁護しようと、それが信仰の道への導きを意味することはけっしてなかった。じつのところ、ルカ老人は、帝政ロシアの公的イデオロギーへのおもねり、検閲機関への口実として描かれた可能性もなくはない。したがてこの老人の言葉に(ある意味で、きわめて月並みな信仰の言葉に)、何かしら思いもかけぬ輝きが感じられるとしたら、それこそ現実をおおう闇がそれだけ濃すぎるためとしかいいようがない。

 最晩年、保守化したドストエフスキーは、帝政ロシアのイデオロギーを代弁しつつ、キリスト教的な救済の思想すなわち「プロ(pro)」に望みを託した。他方、ゴーリキーは、「コントラ(contra)」の体現者であるサーチンに、十九世紀いや総じて古きロシアとの決別を意味づけようとしていた。ただし、ニーチェ同様、キリストの幻想に深く惑わされていたゴーリキーは、サーチンとルカ老人をけっしてたがいに排除しあう両極としてではなく、むしろ惹かれあう他者として、補完しあう何かとして描きだそうとしていたと思われる。二者択一ではなく、二者の融合、あるいはそこからの跳躍を願いながら――。

『どん底』初演から2年、1905年の激動を経て、ゴーリキーはマルクス主義者として新たな道に立つ。その彼が大きな共感をもって携わった運動が「建神主義」である(一般には、耳慣れない言葉だと思うが、ゴーリキーの思想を考えるうえで欠くことのできないキーワードの一つである)。「建神主義」とは、マルクス主義に立脚しつつ、科学が解きあかせない孤独や恐怖の謎を解くことを目的とした一種の宗教運動だった。歴史の潮目はすでに大きく変わりつつあったが、ゴーリキーが何よりものよりどころとしたのは、「どん底」が体現する二極の融合の理想であったことは明らかである。

 初演から120年、『どん底』が、私たちの現代に蘇ろうとしている。その源には、確実に人々の怒りがあり、二極化社会への不安が渦を巻いている。『ホモデウス』の著者ハラリは、近い将来、多くの人間が、AIとバイオテクノロジーの支配のもとで「無用者階級(useless class)」と堕するだろうと予言した。21世紀の「どん底」では、いたるところで携帯電話の待ち受け画面が明滅しつづけることだろう。しかし、闇に放り出された人間の心をむしばむ絶望の質そのものは、120年前の「どん底」に生きた人々と大きくは変わらない。世界を支配しているのは、相も変わらずシニシズムと暴力。現代における「どん底」が甦りは、人々の希望が、サーチンの唱える「大文字の人間」(=変革)とルカ老人の教える「平安」(=諦念)の二極へと大きく分断されはじめていることを物語っている。

(出典:光は闇のなかに輝く ーーゴーリキーの「プロとコントラ」;ゴーリキー『どん底』、新国立劇場、2019年)

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