今年二月、横浜港沖に停泊する大型クルーズ船の映像をテレビで見ているうち、ふとある小説の一場面が頭に浮かんだ。一九七〇年代のソ連で書かれたウラジーミル・マクシーモフの長編『検疫』の冒頭である。
出会ってひと月、早くも倦怠に蝕まれる中年カップルのボリスとマリア。休暇の終わりを黒海の浜辺でむなしく過ごす二人だが、オデッサ港に停泊する船に黒い旗が翻るのを見て不安にかられ、急遽モスクワへの帰還を決心する。だが、列車はまもなく急停車し、松林の間から現れた軍隊によって包囲される。
「乗客のみなさん、オデッサ市に病原菌の上陸した可能性があるとの情報が入りましたので、この列車は六日間の検疫期間、停車いたします」
「検疫(カランティン)」の語源は、「四十」。ペストに汚染された可能性のある船を港に隔離する日数とされている。
物語は、回想、手記など種々の語りをコラージュしつつ、列車内の乗客一人ひとりの過去を浮かび上がらせる。その多くが、スターリン時代の忌わしい記憶に苛まれる人たちだ。恐怖や不安から逃れようと、彼らは、「ペスト蔓延下の酒宴」(プーシキン)さながら、車内で酒と性にのめりこむ。その絵図はさながら、現実のソ連が陥っている自己閉塞の暗示でもあるかのようだ。
泥酔したボリスの夢の中のなかに、太古から今日にいたるロシアの受難が走馬灯のように浮かぶ。飢餓、疫病、戦争、ラーゲリ。そして脱出を決意したマリアと悪夢から覚めた彼の前にいち早く恩寵の時が訪れる。
「振り返ると、人気のない窓をぼんやりと輝かせた列車が、航海中に見捨てられ、今はゆっくりとではあるが、避けがたく、最後の生命が消えてゆきつつある汽船のように見えた」
脱出した二人を迎える眩い朝の光と青空。
「空は海と化し、何隻もの青い帆船が刻一刻と近づいてくる」
マクシーモフが物語のラストに託した願いとは、革命のドグマがもたらした「傲り」との決別、そして人間一人ひとりの生命の価値への目覚めである。だが、訪れた救いは、果たして永遠に約束されたものなのか。
作品は、一九七三年にパリの亡命出版社から出版され、作者マクシーモフ自身もその翌年に亡命している。ソ連はそれからおよそ四半世紀の命脈を保ったにすぎなかった。そして今、社会主義を追い払ったロシアに、二十一世紀の「」が容赦なく襲いかかる
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